空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

懐かしいアニメより

デジモンこと、デジタルモンスター

 

近未来的な世界。

デジモンの世界にタイチ達が電子媒体(?)

として、生きている。

そして、デジモンの世界で死ねば

元の世界でも死ぬ。

 

この部分はソードアートと同じ。

 

そこで、電話やメール、電波を飛ばして

文字や言葉を音声として、または画像として表すものについて考えてみた。

 

知識がまだ足りないから間違っている部分もあると思う。

 

電話の仕組みは

音声を電気信号として送っている。

 

ならば、どこでもドアも同じ様な原理で...

肉体を分子、原子、量子、まで分解、

そして電気信号として飛ばして再構築できればと思ったのだが...

 

まず初めに、分解して、再構築した時に

果たして分解する前と後、

全く同じ量子になるかという事だ。

 

まぁ、まず無理だろうな。

密閉容器にでも詰めて運んだならまだしも、

分解して、飛ばしての時点でバラバラになるか、消滅するかしてそうだし。

 

どこでもドアと来れば、タイムマシンだ。

 

The time machine(タイムマシン)という作品がある。

H.G.ウェルズさんの映画にもなった作品だ。

 

そのタイムマシンには、

(肉体が耐えれるかは別として)

膨大な電気エネルギーが必要だ。

今の世の中じゃ、そんなエネルギーを使えば

世界が一斉に停電になるかもしれないな...

 

もし、

タイムマシンで過去に行けたとして、

未来は少しずつ変わるのだろうな。

 

未来からタイムマシンで来なかった世界

(タイムマシンが存在しない世界)

から、来る世界(存在する世界)に。

 

そしたら、映画、トゥモローランドみたいになっているかもしれない。

 

一人の少女の希望によって、

未来が変わるような世界に...。

 

仮説~結論 続き

Bが物語を消す。

もしくは終わらせることによって

想像(創造)した世界は存在を失う。

 

 世界線...の様だといえば良いのか...

Bは選択し、Aの世界は進むか消える。

 

仮説 2.5

自らとは別に他者が体内、もしくは体外で

身体をコントロールしている。

イメージとしては、ソードアート・オンラインPSYCHO-PASS、ハーモニー、電脳コイル攻殻機動隊の電脳世界が一番近い。

 

バーチャル内に世界があり、

機械を装着、もしくは、別の形で肉体を離れ、意識を別の場所で構成。

 

この場合違うのは、自分がそれを認識しているか否かという事。

 

そう考えると、何一つ本物なんて無い。

偽物も、本物も無ければ、

どちらが本物かなんて理由付て表す必要さえないのだから。

 

話を戻して、もし、

今認識している全てがバーチャル世界(а)で

死ぬ事で終わる。もしくは、

眠る事で“b”に戻れる

人生体感ゲーム...?のようなものだとしたら?

 

*眠:眠っている間は意識はスリープモード。

“b”での自分とは記憶は別々。

もしくは、“b”の方は記憶を両方保持できる。

 

時間に関して:“b”とでは違う時間軸。

時間という概念すらない。

“а”に入る時、時間が進み、出ると止まる。

 

ゲームカセットでの時間表記が近い。 

だが違うのは、自分の選択や行動でシステムの1部が常に変化する事。

基本的部分は同じで、エピソード等が変わる...

変化し続ける、マルチエンディング。

 

 

という仮説。想像。

意味は無いが、可能性としての話。

証明出来ないからといって絶対にありえないという事も無いはず。

 

言葉遊びかもしれない。

一つの願望かもしれない。

 

それは死なない事には確認出来ないうえに、

証明する術がないのが残念なところだ。

 

一つ、思い出した。

私はラブリーガール このドラマの様に

死んだらエスカレーターを上がり、

パソコンと、デスク。そこには人が居て、

『あなたは-』なんて、

現代的な風景の場所に行き着くかもしれないし、

死んで目が覚めたら

カプセルの中で、

『被検体番号-が目を覚ましました。』

とか、

『お疲れ様です。どうでした?今回の-は』

 

あるいは、何も無い白い世界、

真っ暗闇の世界、

意識さえ存在しない世界。

に行き着くかもしれない。

可能性は捨ててはならない。

 

ありえない事ほど、ありえるのだから。

自分の意識の範囲外に

世界があると思えば、ロマンを追いかける

ロマンチストだ。

 

わたしはいつまででもそうありたい。

 

 

小説 類似性

似ている...

 

虐殺器官、ハーモニー、イシュタム・コード

虐殺器官とハーモニーに関しては

同じ作者だからだろうが、

イシュタム・コードに関しては違う。

 

作品は内容も、

書風(...と言うべきか?)も違う。

だが、本質は似ている。

 

虐殺器官:虐殺のコード、脳、思考、地獄

ハーモニー:管理された人々、脳、思考、意識

イシュタム・コード:サーバー、脳、思考、

自殺のコード

 

すべてに当てはまるのは、

脳、思考、意思→人の行動(自殺・虐殺)

という事。

 

自殺・虐殺行為に関する1人のカリスマ。

 

カリスマ(を持った人物の有無)に関しては、

PSYCHO-PASSの作品も関連してくるだろうが、“自殺”

という行為としての存在ではなく、

他者からの“攻撃(行為)”としての存在なので、

今回の話にも入れるべきだろうが...

それは少し後で書こうと思う。

 

虐殺器官:ジョン・ポール

ハーモニー:御冷 ミァハ

イシュタム・コード:ジェス

 

3人に共通する事は、

世界を確変すること。もしくは、世界に打撃を与えること。

絶対者の概念...もしくは、絶対的存在。

人によっては善にも悪にもなる存在。

この部分にはPSYCHO-PASS槙島聖護も入っていると言えよう。

 

一人の人間に多数の人間が感化され、

踊らされている。もしくは、

それを自分の意識(自我)として、

動いている。

 

そして、カリスマ性を持った彼等は、

異形で、異質で、

他者とは異なる高みの存在。

だから、

イシュタム・コード内での言葉を借りるなら、

“生物の価値は量にあるから。”

量に満たさない彼等は消される。

というべきか、

別の言い回しがあると思うが、

今はこれしか浮かばないのが事実。

 

 

 

 

 

 

 

今の私では頭がオーバーヒートしてここまでのようだ。

本質は同じだと気付いたまでは良かったのだが、説明するのがあまり得意ではない。

脳内のイメージをそのまま表す事が出来たなら、人は変わるのだろうか?

 

技術が先行して、

人が退化していくのではないか...?

自問自答の繰り返しだ。

また、気付いた事を書き留めておこう。

仮説1~ 結論?

仮説2 補足事項

 

二次創作物について

二次元    l         三次元

    A         l             B

 

今認識している自我が

他者(第三者 仮にBとしよう)によって

作られたもとして仮定+仮説

 

Bが俗に言う現実世界とする。

A=Bの想像し、創造された世界の住人

なので、行動、思想、発言する言語さえ

Bがすべて担っている。

 

アニメの様なものと言った方がわかりやすいかもしれない。

 

なので、創造主Bの存在消滅、もしくは、

B自ら想像し、創造したAを消すことによって

Aの世界諸共消える。

 

存在はした。だが、存在の証明の仕様のないものへと変化した。

 

そして、意識というものは消える。

一番イメージとして近いのは、

伊藤計劃『ハーモニー』

 

 

イシュタム・コード 仮説1~

仮説1  実験(実験動物)と仮定したとする。

補足

Aが実験動物 Bが観測者(研究者、観察者等)

 

仮説2 (作られた存在)

二次元(小説等の物語)の様に

作られた存在より、

観測者(物語の作者)を見る事は出来ない。

よって、自らは作られた存在であり、キャラクターの1人として存在する事となる。

 

つまり、二次創作物

 作られたストーリーの中踊らされている

(マリオネットの様に)

としたら、

 

“進化する必要性が無いのでは

ないだろうか?”

 

という疑問にぶち当たる。

イシュタム・コード より

人は架空の者

(存在しない社会という人格もしくは、

安定剤)が無ければ、生きられない。

“絶対者の概念”

 

『人が生きるために必要な三つの喜び』

マルクス

 

表現する喜び、

それを理解、評価してもらう喜び、

他者の表現を理解、評価できる喜び。

(価値を想像、理解してもらう、

相手をも理解できる。)

 

言語ゲームウィトゲンシュタイン

人は言葉によるゲームの中で生きていて、

言葉は思考ではなく、行為として存在する。

または、している。

 

言葉=人間の生活を成立させるためだけに

機能する。

神、善悪などの存在を証明出来ないもの

(目の前で存在証明できないもの)

を定義することは最初から出来ない。

 

言葉=現実(現状、事実等)を表現。

表現したもの(言葉、言語)を他者と共有。

 

たとえ、意味が違っても...(?)

 

言葉=見たもの、見えるものが事実と構成。

 

見えないものは概念として存在はするが、

言葉、言語として表されないため...

 

存在は意味を成さない?

21gの魂と同じ?

 

ただの言葉遊びと化する...(?)

 

だとしたら、

何故安定剤としての役割を与えられる?

-人が不安定な存在だから?-

 

仮説1 人は作られた存在。

自意識、無意識、これらの観測外に観測者がいる。

構成的に?絵柄的に?似ているものとして、

 

シュレディンガーの猫

観測者が中にいない。

(自ら)

 

ウィグナーの友人✕ 

観測者が中にいる。

(外にもいるが、結果は分からない。)

(他者)

 

(図?イメージ?)

Aの世界               l      Aの世界の外界

観測者A(自身)    l         観測者B(他者)

                              l

AはAの世界しか知らず、

外界は観測出来ないものとする。

(仮に生者)

 

BはB自身の世界とAの世界を観測できる。

(仮に死者)

とすれば、Bの世界は概念でしか無く、

21gの魂と、同じ...

 

Bにとっては本物。Aにとっては、概念。

 

イタチごっこだ。考えがまとまらない。

 

Bにとっては、ゲーム。そして、

Aはそのゲームの中の駒でしかない。

トーリーは毎度変わるため、

攻略法はなく、結果、

何が正解かも分からない。

 

全てが正解であり、可能性という名の概念。

データの一つ。

数ある答えの一つであり、

その過程は変われど、答えは同じ。

 

公式は間違っているのに、

答えが合ってる。

もしくは、近しい何かとなる。

 

答えが出ている。

それによる数ある公式を一つにまとめ、当てはめようとする。

公式は一つとは限らない。

 

言葉...

言葉選び を 言葉遊び

と読み間違えた事より、気づいた。

 

言葉選びも、遊びも本質は同じ事なのに

意味合いが違うというだけで別物に見えてくるもの。

 

選ぶ事も遊ぶ事も

言葉である事に違いはないんだ。

 

それは、人が善であるか悪であるか

問いかけるのと同じで

基準が曖昧なものを、他人の尺度一つで決めること自体がおかしいのだ。

 

だが、そうでなければ成り立つものも、

成り立たない時もある。

だから、

今書いているこれも、

言葉を選び、言葉で遊んでいるのだ。