空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

選択

人を殺すにはその言葉だけで十分なのだ。

 

 

人の心を捨てるか、才能を捨てるか。

どちらかを選ばなきゃいけないとしたら、

人はどちらを選ぶのだろうか?

 

イメージとしては、

伊藤計劃さんの“harmony”

自明の有無の世界。

 

自らの心(意思)を捨て、自明による選択。

自明を捨て去り、才能で生きる世界。

 

もう一つは

 

自明を残し、才能を捨て去る選択。

才能そのものを消すのではなく、

才能は“あるが”という状態になる。

 

どちらを選ぶのだろうか?

言葉遊び

言葉に寄生しているのは自分だというのに

それを否定して悲観的になるのは

ただの自己満足。

 

だからといって

言葉遊びをやめるつもりはない。

 

だから今日も、

言葉に寄生して遊ぼうと思う。

 

言葉に意味をつけた理由はなんだろうか?

 

言葉は言葉でしかない。

という人と、

言葉は感情表現の一種。

もしくは、

定義できないものの分類?

分析ではないのだが、

仕分けと言った方が今は正しいのかな?

 

ラベルを貼って、組み分けて

棚、箱、スペース、物理的収用物にはめ込むためのピース?

 

ある意味、酒やタバコ等の麻薬ににも似た何か。

 

他者と自分を分けるためのただの羅列。

(名前)

否定的になってはダメだと思うのだが、

なかなか難しい。

 

少し視点を変えてみてまだ改めて書こう。

地獄より

私を殺すのは私でしかない。

(地獄はここに、頭の中にある。

虐殺器官”より)

 

 

だが、私を生かすのは他者だ。

死にたくない。

殺されたくない。

 

私という存在を消さ(殺さ)ないで。

死者に...求める。その答え

今の私の世界が終わらない限り、

私はあなたに会えないのです。

 

伊藤計劃さんの作品を思い出し

映画のPV等を見ていると、

ふと、そう思った。

 

終わらない限り、存在し続ける。

生きている限り、物語は終わらない。

 

はたしてそうなのか?

 

ただ、自分という存在を

死と隣り合わせにする事で、存在意義を...

自らの存在を、今認識しているこの瞬間を

“本物だ”と

そう思いたいだけではないのか?

 

本当は死者は側にいて、

死者ですら無く、

 

その存在すら、物語の一部でしかないという事をどこかで否定したいだけではないのか!?

 

 この考えでさえ、

誰かの空想で、想像で、インプットされた

設定かもしれない。

それを否定するための確たる証拠も無ければ、肯定する術もない。

 

死ぬも生きるも同じだ。

共に走り続け、共に消える。

(生まれたと同時にまとわりつく、光と影)

 

それが他者との“時間”という概念での

違いがあるだけなのだ。

 

いつか来るかもしれない。

誰かの世界を認識する日が...

 

紙や、電子、音や視覚情報ではなく、

本質を、本能とその存在を。

 

 私が私であることを証明するのか、

私が他者との存在でお互いを認識し合っているのか、

はたまた、

この存在すら、誰かの物語(世界)なのかを...