人口細胞であれば生前の人間の細胞から
生命体を作る事はクローンとどう違うのか?
そうだ。
人口筋肉、人口皮膚、
人口細胞にもいつか終わりが来る。
無理をすれば早く壊れてしまうし、
普通に生活していくだけなら、
それなり……なのだろう。
だからこそ、
脳も人口細胞に切り替え続けたところで
いつか限界が来る。
新しい細胞に生まれ変わろうとも、、、
天然と言えばいいのか?
あまり天然という言葉でこの話をしたくないな。
天然という言葉の意味が当たってない気もしなくもないから……
でも、人がもし、
天然……いや、生身の人間と、
義体化した人間もどき?
アンドロイド?
養殖。違うな、培養?でも無い。
電脳人間?
生身じゃない人間と分かれたら
命の価値はどちらが重くて、どちらが軽くなって行くんだろうな。
替えのきくから価値が下がるのか、
替えのきかないから、価値、値打ち、
重さが変わるのか。
これもやっぱり、どちらの側に立つかが問題だな。
やっぱり人は比較となる対象が居なければ
ハンプティダンプティ、もしくは、
やじろべえの様な存在なんだろうな、、、
細胞の交換?
遺伝子の組み換え……?
悪い細胞を交換するとなれば
生身の人間としての部分と、義体…
人口皮膚、人口筋肉等の部分との交換になるのか?
それとも細胞自体を入れ替える?
マクロ、ミクロ、ナノ単位で?
骨自体は義体化出来るとして、
内蔵…脳は義体化出来るのか?
やはりデータとしてか?
そうなれば、人は人である必要性は無くなるはずだ。
仮にもし、脳を電脳化出来たとして、
データの劣化、消滅等起きれば
その人の存在すらなくなる。
なら、義体化する意味は?
そうまでして生きる価値があるのか?
それは生きているのか?
生かされてる。
終わりのない世界で生かされてる。
つまらない。
生きる定義を求めてる訳じゃないから
なんとも言えないが、
生命を終わらせないことが生きることなら、
永遠に生きるということは、
変化し続ける事か?