空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

神使い

神様は人の概念の塊で、想像の産物である。

という考えで、

神使い=概念を構成している。

 

となると、

好き放題に…と言ったら

おかしいかもしれないが、

チート使い放題?場合によっては神様消滅?

イメージとしては、作家が1番近い。

 

物語を構成する中で、

生かしも殺しもできるのだから、

ある意味神に近い存在。

 

そんでもって、自分の物語だから好き放題できる。

神様を創造して、使役もできるし、

殺しも、増やしもできる。

 

概念の……というより、

自分の世界を、価値観の中のものを

神と称して偶像崇拝したうえに、

他者にもそれを求める。

もしくは伝えて伝承まで作ってしまう人間の恐ろしさ。

 

想像・創造 出来ることが

必ずしも良い事とは限らないな。

正しいかどうかじゃなくても、、、

 

見たいものを見て、

信じたいものを信じればいいさ。

 

それを他者に押し付けない限り

ツァルストラ

ツァルストラはこう言った

ニーチェ

訳氷上英廣

 

P.83 市場の蠅 ~P.88

この部分の話には最もな話が書いてある。

興味深いし、最も共感せざるおえなかった。

 

その最後の一説に

 

“わが友よ、のがれなさい、

あなたの孤独のなかへ!

かなたの、

荒々しく雄々しい風の吹くところへ!

蠅たたきとなるのはあなたの運命ではない。”

 

とある。

私達は蝿に生まれるためでも、

蠅たたきに生まれるためだけの人生でもないんだ。

それを忘れちゃいけない。

そして、気を付けなきゃいけない。

 

怪物と戦う者は、

その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、

深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

 

と言うくらいなのだから、

私達は気をつけねばならない。

何物でもないただの戯言。

活字にすればせいぜい300枚ほどの紙媒体におさまるものが、

イメージとして具現化すると相当のメディア量になる。

 

映画を漫画にしてその場面場面でのイラストを紙媒体にするとかなりの厚みになるなと思っただけさ。

 

誰かのイメージ(世界)を、表すのが悪い訳じゃない。

誰かの世界の1片を垣間見ることが出来るのだから、

捉え方は人それぞれだが。

 

殺したいなら殺せばいいし、生かしたいなら生かせばいい。

 

それは個人の自由だ。

 

だが、それが適応されるのは自身のみだ!

他者の介入の余地すらないし、

逆に侵食してもいけない事を忘れるな。

 

殺そうが殺されようが自由だ。

依存と自己心理を正常に保つ為だけの

自己満足だけは要らない。

責任を他者に求めるのも、認めない。

 

自分が自分である為に、やるべき事をすべきだ。

 いつもながら話が脱線してしまう。

 

つまらない人間に成り下がったものだ。

つくづくそう思う。

そして、この言葉は自分に降りかかる。

忘れるな。その為に生きている。

戯言

つまらないな。

つまらない事に精神と脳内、

時間と細胞をかけることが1番の無駄だとは思う。

 

脳が痛みを感じるように、

体が痛みを感じる。

欲求がわらわらと増えて来て、

主張を始める。

 

くそったれみたいな

つまらない他人の 偏見と価値観 で、

誰かを規定する事がとても……とても……

 

まぁ、そんな話はどうでもいい。

人間から痛覚を取ったらまぁ、

腕の1本2本切られても気づけないだろうな。

動かそうとして先がないことに気づ……

 

タイタス・アンドロニカス……?

腕を切られてって所で思い出した。

あの話で、意思疎通しようと思えば出来るんじゃないかと思って……

両手と舌を切られたラヴィニア。

日本で言えば50音順の早見表みたいなのあるだろ?

あれで言わば指さして

(この場合腕だが)いくか、

瞬きや、頷き等で対話する事だって可能なはずだ。

耳は聞こえるのだから。

 

なんて、つまらない事を考えてるな…

 

虐殺器官より

感じられないのに認識する痛みってどんな感じなんだろう……?

 

一般的には認識した=感覚(痛覚)に何らかの刺激があるはず。

 

虐殺器官でそんな話があったなと思って

痛いと分かってるのに、

痛みを感じない……。

 

そんな病気もあったはず。

なんだっけ……?無痛病でもないし、

マルシリ症候群……だったかな?

 

痛みってなんだろうな……。

電気信号では、それを認識出来るのに、

それを言葉で表そうとなると難しいな。

 

痛み ……辞書で引くか。

ツァルストラ 続き

“あなたが「精神」と読んでいる

あなたの小さな理性も、

あなたの身体の道具なのだ。

わが兄弟よ。あなたの大きな理性の小さな道具であり玩具なのだ。”

 

この解釈は面白い。

この後の一説もなかなか面白い。

-感覚は感じ、精神は認識する。

それらのものは決してそれ自体で完結してない。……-

この部分は特に面白い。

人間が感じること、 感覚

認識すること、 精神

その背後にはなお、本物の「おのれ」がいるそうた。

 

そして、その「おのれ」がわたしを、

私という存在に、精神に、概念や、感覚に。

聞いたり、たずねたりし、

比較、制圧、占領、破壊をして、

支配するそうだ。

 

“それは「わたし」の支配者でもある。”

と書かれている。

 

私という存在の影響は?

私という存在が得る影響?

刺激として、感覚として、思念としての

電気信号と、文字の羅列は

外から来る。そして、

中で反響し、共鳴し、並び替えられ、

破壊され、再構築され出てきた答えが

「おのれ」の身体であり、道具であり、玩具なのか?

ん?

色々とごちゃごちゃしてきたな。

後で修正するとしよう。

ツァルストラはこう言った 著ニーチェ 訳 氷上英廣

文中に

“わたしごつくったこの神は、

人間の作品であり、

人間の妄想であった。

すべての神々がそうであったように!

その神は人間であった。

しかも単なる人間と自我の貧弱なひとかけらであった。

私自身の灰と火影(ほかげ)から、

それは出てきたのだ。

この幽霊は。まことに!

それは彼岸からやって来たのではなかった!”

 

って書いてあるのだが、

最近本屋で 神は、人の脳が作った

だったかな?

これを見て思い出した。

 

人の脳が神という概念を作った。

もしくは、

人の脳が神を想像した。

の方が解り良いのになとか考えさせる本の題名を。

 

そして、

新興宗教的にはキリスト教徒さんの多い地方でこんな事書いてるニーチェさんの

ぶっ飛び具合。嫌いじゃない。

むしろ好きだ。

だか、

たとえ物語の中でも主人公の思想の中でも

信心深いひとから猛烈に

反感くらいそうな爆弾ふっこんだな。と

  

最初から爆弾投下してる作品だけども……

概念を幽霊と称した意味は?

 

人間の妄想なのか、幽霊なのか、

フェニックス的な言い回しなのか、

それとも誰かの思考から出来た想像の産物なのかどれかにしてくれ!

 

と思いながら読み進めば、

幽霊がいなくなって、

それを信じるのも悩みで苦しみだと。

屈辱とさえ称している。

 

概念にそこまで熱くなれるツァルストラ…

達成感とその他もろもろに満ち溢れてるのは分かる。

だが私の理解が、見解が追いつかない。

詳しく説明が欲しいところだ。

 

こういう時、タイムマシンとかあれば

その真意を聞いたり話したり出来そうだなと

よくよく思う。