心臓の中に誰か居たら“面白いな”
と、ふと思った。
Home starつけながら
BUMP OF CHICKENの“パレード”聴いていた。
歌詞のなかに
“呼吸はどうか 普通かどうか 手を当てた胸に”
の部分で、胸に手を当ててみた。
心臓の動きを指先で感じる為に
-はなさないで はなさないで-
“誰かそこに居るの”
↑この部分から
自分の心臓の中に誰か居たら
面白いなと感じた。
もしも、心臓に扉でもあって、
“パカっ”と、もしくは、“ガチャッ”と
扉から誰かが出て来たら...
昔NHKでやってた“サブリナ”というドラマのように。
魔女が恋におちたら云々の話だったと思う。
胸に扉あって、そこを開いて、
そこから心臓が見えるというシーンが
記憶に強く残っている。
もし、パカっと開いて
心臓から誰かが
“ Hello”なんて言って出てきたら...
驚きと困惑で笑ってしまうだろうな。
それとも、メン・イン・ブラックみたいに、
見た目は人間、身体はロボット、
脳内には小さな宇宙人が居て、
そこで操作してるなんて感じだろうか?
それもそれで笑ってしまうだろうな。
自分のものだと思っていたものが、
実は誰かに操られていただけだなんて
考えただけで可笑しくなる。
いや、これはこれで
自明で選択された何かとも捉えられる。
他者の存在を知らなければ“操られている”
なんて認識すら出来ないのだから、
洗脳か、誘導か、
はたまた無意識かは別として。
脳内報酬と脳内欲求が
お互いに結びついてるのなら...
脳が感情を制御しているという事を
知る前なら...
心がどこにあって、心が頭ではなく、
心臓の部分にある頭とは別物。
という認識の中で
例えば、誰かに無意識として操られていたら
それを自明と勘違いしても
おかしくはないのではないだろうか?