魂の吝嗇よ!(ニーチェ ツァルストラより)
吝嗇:りんしょく(物惜しみすること。けち)
魂のケチっぷりには笑いが込み上げてくる。
ニヒルなだけあるが、
言い回しが何とも(笑)
滑稽というか、魂のケチっぷりと言うと、
本人の性格までもがケチというイメージが湧いてしまう。
イメージと本質は違う。
魂の吝嗇:(コレは私の勝手な解釈
見解、仮定、想像。)
魂という名の概念にとって。
遺伝子の残存。記憶。呪いみたいなもの。
そんなもの全部引っ括めて、固めて、壊して
そして。要らないものだけ、
見たくないものだけ捨てて、
見たいものだけを見続けて。
見て見ぬふりをして、最後のツケが回る。
浅はかな人間の全てと言うべきか、
人間のしてきた事、している事、
そうありたいと願い、そうあろうとする事。
塗り固めて、壊して、
大事に大事にしてきたものが、
実はただの何でもないものだったり、
本当の価値がどんどん汚い何かで塗りつぶされて、気づいた時には手遅れ。
どこまでもどん底。どこまでも果てしなく落ち続ける何かに……
辞書での言葉を引用すれば物惜しみし続けて、
いつの間にかその価値に気付けず、
気づいた時には何も無いのだ。
それは本物であるはずたった。
あるいは本物だったもの。
だから簡単に消えて、消えない何か。
メモ:メガネのポスター
動物に人間らしい姿を描くのが気持ち悪……
いや、人間も動物。動物であるし、人間でもある。
動物に人間の真似というより、
人の真似をさせるのか、
人間の様な雰囲気を持たせるポスターがちょっと気になっただけだ。
人が鳥や獣、知識あるなにかになりたいのか、
動物が人に近くなるのを求めてるのか、