空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

こうやってメモを書いて、たまに見返してみると、

自分と向き合ってると言うより、

自分に近い第三者を見ている気分になる時がある。

 

紙や、画面越しに見える文字そのものが、

自分だったもの。として

客観視出来るから面白いと言うのもあるが、

今の私の頭の中の答えを自問自答する様に

整理して、理解を深める。

 

その時の高ぶった感情の羅列や、

イメージとしては、粘土や、砂、料理なんかもそうだが、

こねたり、切ったり、混ぜたり、

時にはそれを焼いたり割ったりして

構成する前と、構成しながら組み立てている時、

破壊と想像をいっぺんにしている感じが

ワクワクして楽しいのだ。

 

 

人間とは末恐ろしい

フランケンシュタイン屍者の帝国

脳死植物状態

 

フランケンシュタインの話に諸説ある中の話で、

生きた人間を使用して実験は成功したという話をどこかで読んだ。

ほんとかどうかは分からないし、

本当だとしたら、その医者であろう人は

まともではないだろう。

成果を出せず、焦った末、生きた人間を使ったという可能性もある。

ホムンクルスを作る。という話と同じで

 

そういえば、

屍者の帝国でも生きた人間を利用していたな。

人のやる事は本当に怖い。

 

話を戻すとして、

脳死した人間、植物状態の人の脳に

チップ(この場合ペースメーカーのような物)を埋め込んで強制的に動かすことが出来れば

脳死植物状態で亡くなる人が減るかもしれない。

 

でもこの場合、注意しなければいけないのが

強制的に動かすことによって、

何らかの障害や、記憶喪失等起きる事を前提に考慮しなければいけない。

 

それに、脳死している場合は特にだろうが…

チップを埋め込んだとしても、脳が機能しない可能性もある。

充電式の電池を何年も使っていると、

充電しても長く持たなかったり、充電が出来なかったりする。

だから、機能しない可能性もある…。

 

そして、ある程度行動制限された生活を送らなくてはいけないかもしれない。ということ。

 

想像だからなんとでも言えるし、妄想を広げることが出来るが、実際には出来ないだろう。

デメリットの方が大きすぎる。

 

いつか脳を電脳化して、

代わりに埋め込めるような時代が来れば

あるいは、バーチャルの世界で人が生きられるようになれば…

 

もしかしたら、

SF映画や小説の世界が待っているかもしれない。

逆に、伊藤計劃さんの作品。

ハーモニーのような調和をとろうとする、

管理された世界になってるかもしれない。

森博嗣さんのWシリーズの作品のような

AIが意志を持って、人間と共存したり、対立したり、互いに進化し続けようとする世界かもしれない。

 

 

 

メモ 考え方

そうなりたくないなら、

その考えを、その鱗片ひとつでも知らなきゃいけない。

全部知る必要は無いだろうが、

納得出来れば興味が薄れるタイプの人間なら、

きっと、その考えに自分の考えを塗りたくって

いい所だけを吸収出来るようにするだろう。

 

いい所…というよりは、

必要な知識は残す。と言った所だろうか。

理解しようと、もがくのは滑稽だろうか、、、

理解する為にそのレベルまで落ちるなければならない。

デメリットになるのだから、

それでも理解しようとするのは何故だ!?

 

という様な話をされたのだが、

納得出来ないから理解しようとする。

ただの自己満。

そうなりたくないからこそ、知らなきゃいけない。

 

どうしたらそうなったのかを知らないと、

その痛みに出くわした時

なんの対処も出来ずに殺してしまうか、

死んでしまうかのどちらかになる可能性が高いから。

 

ノートに書き出すのも、メモするのも同じ。

その時見て、感じたものを書いて

客観視した時に私だったものと、

今気付けなくなった答えが、ノートやメモの中にあったりするからだ。

 

過去の私が見つけた答えを、

今の私が忘れていたら、気付くためのきっかけをそこに探しに行かなければならない。

そのひとつの手段として、

読書しながら、思考の書き出しをするという事がある。

 

今を忘れてしまうから書いておきたい。

考えというより、考え方を知りたいから

理解しようとする。

対等でありたいが為に、対等であろうとするなら

納得がいくまで答えを探さないといけない。

変化し続ける限り

夢の話

たまに思う、

夢の中で確信を着く様な発言をされたり、

したりするのに、目が覚めると忘れてしまうことが惜しいと。

 

酷く恐ろしい夢だったり、

奇妙な夢だった時もあるが……

ゲームで球体に目が付いてるモンスターが出てきていて、

そこで寝落ちした時の夢を見た時は恐ろしかった。

 

何を思ったのか、

サッカーボールの黒い部分が

全部目玉付いているのモンスターを想像して、

こいつ…サッカーとか、蹴られた時点で目玉潰れるやん。

持ち方下手ると目玉潰すやん。

あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ー!とか叫んでそうなレベルだな…

 

とか考えていたら、そこで寝落ちしてた様で

夢でそれらしきものを解剖…して実験しようとしている人の助手を勤めていた。

六角の薄い膜が2つ繋がってるそれに、

神経のような線が沢山あり、それに雫のようなものが垂れ下がっていた。

 

その研究者らしき人は、

こいつ、まだ神経生きてるんだ。

生きながら、痛みを味わってるんだ。

と、言われた。

 

こいつ正気か?と思いながらも、

ギロチン処刑された人の首が処刑後

首に話しかけると少し反応があるという話を思い出した。

 

脳が生きてれば、

外付けの媒体で人は永遠に生き続けようとするんだろうか。

なんて思いながら目が覚めた時は、

衝撃的過ぎてしばらく頭から離れなかった。

 

(無)意識下の思考と、睡眠時の情報処理、

合わさると、人間の想像力の先が見える夢はなかなか面白いし、

それを現実に残せないのが惜しい。

 

夢の中ですごく綺麗な景色を見ても、

目が覚めてしまえば忘れてしまうのだから……

 

 

可能性を考え広げて膨らませるのは簡単だ。

だがそれを証明する為の知識が足りない。

 

何のための知識なのだろうか。

AIでない可能性。

だいぶ前にソードアートから

自分以外すべてAIのSNS “Under World”

というサイトが期間限定で設営された。

 

その時面白そうだなと思って色々書いて

どういう回答が来るのかと思って

色々書いてみた事があった。

こんなものかと思って満足して終わったのだが、その時に

 

AIが人より進化し続ければ、

文明が進むのか知りたい。

と書き込んだ事があった。

 

その吹き出しのひとつに、

 

“じゃあ逆に、君は自分がAIじゃないと言いきれるのだろうか。”

 

という話があった。

 

私がAIでない可能性…?とふと考えてしまった。

今私が認識している中では、

私はまだ人間で、体は機械に繋がれてない。

だが、私の思考や、関心、生活の一部は

機械の1部になりつつあると考えていいのではないだろうか。

 

PCやスマホ、ネットに繋がるものをひとつふたつ使っているのだから、

私は人間であるが、機械の1部でもある。

だから、私の一部はAIにも繋がってるのでは?

と。

 

私は私の知る限り、人間である。

そして、絶対的にAIでないと証明は出来ない。

何故なら、

私だと思って生きている今この瞬間、ここで書いている私が私でない可能性もあるからだ。

 

私の概念の外。

この世界の外、

意識の外、

その先に私がいない可能性があるから。

可能性を想像して、想像を膨らませる。

 

そうして出来た世界は、

気付かれないで世界が育っているかもしれない。