人は架空の者
(存在しない社会という人格もしくは、
安定剤)が無ければ、生きられない。
“絶対者の概念”
『人が生きるために必要な三つの喜び』
表現する喜び、
それを理解、評価してもらう喜び、
他者の表現を理解、評価できる喜び。
(価値を想像、理解してもらう、
相手をも理解できる。)
人は言葉によるゲームの中で生きていて、
言葉は思考ではなく、行為として存在する。
または、している。
言葉=人間の生活を成立させるためだけに
機能する。
神、善悪などの存在を証明出来ないもの
(目の前で存在証明できないもの)
を定義することは最初から出来ない。
言葉=現実(現状、事実等)を表現。
表現したもの(言葉、言語)を他者と共有。
たとえ、意味が違っても...(?)
言葉=見たもの、見えるものが事実と構成。
見えないものは概念として存在はするが、
言葉、言語として表されないため...
存在は意味を成さない?
21gの魂と同じ?
ただの言葉遊びと化する...(?)
だとしたら、
何故安定剤としての役割を与えられる?
-人が不安定な存在だから?-
仮説1 人は作られた存在。
自意識、無意識、これらの観測外に観測者がいる。
構成的に?絵柄的に?似ているものとして、
観測者が中にいない。
(自ら)
ウィグナーの友人✕
観測者が中にいる。
(外にもいるが、結果は分からない。)
(他者)
(図?イメージ?)
Aの世界 l Aの世界の外界
観測者A(自身) l 観測者B(他者)
l
AはAの世界しか知らず、
外界は観測出来ないものとする。
(仮に生者)
BはB自身の世界とAの世界を観測できる。
(仮に死者)
とすれば、Bの世界は概念でしか無く、
21gの魂と、同じ...
Bにとっては本物。Aにとっては、概念。
イタチごっこだ。考えがまとまらない。
Bにとっては、ゲーム。そして、
Aはそのゲームの中の駒でしかない。
ストーリーは毎度変わるため、
攻略法はなく、結果、
何が正解かも分からない。
全てが正解であり、可能性という名の概念。
データの一つ。
数ある答えの一つであり、
その過程は変われど、答えは同じ。
公式は間違っているのに、
答えが合ってる。
もしくは、近しい何かとなる。
答えが出ている。
それによる数ある公式を一つにまとめ、当てはめようとする。
公式は一つとは限らない。