比較するものがあるから
価値の有無に至るわけで、
比較するものが無ければただの戯れ言と同じ。
光があるから闇があるのとは少し違うかもしれないが、
多数派の中で少数と多数に分かれるのだから、
少数の中でも同じ事が言えるということ。
なら、世界規模で言えば?
という風に考えれば、
相模原障害者施設殺傷事件での
容疑者Aの発言に疑問符が与えられる。
多数、少数を人間として見ないのは
個々の自由だが、
それを自分を正当化させるために使ってはいけないと思う。
ある意味、これも偽善なんだろうが...