認識は錯覚かどうか。
認識したという事は
自分の意識の中で確認されたもの。
他者からすれば他人の頭の中であって、
自分の頭の中でないのなら、
それを確認する術はない。
脳波でグラフを付けた等なら...まぁ、
統計は出せるが、それを裏付ける証拠になる訳でもないだろう。
実際に映像にしたり、
文字や、音、色等で“コレだ!”という風に
表現できてる訳でないのだから
いや、むしろ、
人は文字や色、音等で他人に表現する事に
なんて言うか...
証明する事に
囚われすぎているのではないだろうか?
書き残す事は大事だと思う。
人の記憶力は脆弱だ。
書き出したもの、導き出したもの、
頭に浮かんだもの、疑問、その他。
色んなものを見聞きして、
見解、咀嚼、反芻を繰り返して
書き出した本人の意思を理解した気になって
これが彼、もしくは彼女達の思考だと
勘違い。すれ違い。
限りなくそれに近い何か。
なら、認識は“勘違い”という名の
錯覚に近いものも含まれてるのではないだろうか?
上手く言い表せない。
かと言って、色や物で表すのも難しい。
難しいな。色んな事が