人が本を眺め、選ぶのではなく、
“本が人を呼ぶのだ。”
そんな事が頭によぎるような体験した。
ちょっと市電で駅方面…?
駅から少しずれる、
そうだな、美術館や図書館のある方面へいってきたんだ。
そっちの方面に古本屋がある。
1階はいろんなジャンルの本があるし、
SF、ミステリー、ホラー、料理、絵本、
英文書、さまざまなジャンルが混ざった
不思議な空間。
そして2階だ。
2階は岩波、ちくま、新潮などの
哲学、歴史、 右翼的な本も取り揃えてる ちょっとした穴場な本屋なのだ。
2階で本を眺めながら内心
“がんぷく、がんぷく”何て思いながら、
手に取った本を読んでいたときに
服の裾を“くいくいっ”と引っ張る感覚を覚え、
振り返るが誰もいない。
だが、子供のような気配はあったのだが、
私以外の客は居らず、
気のせいだ。とは思いながら、
本棚を巡り、一階の方へ行き、
SFの棚を眺めているときにふと思ったのだ。
“人が本を選ぶのではなく、
本が人を呼ぶのだ”と
そう、その本が こいつと波長の合う!
なんて思って主張してきてたらどうなんだろうか?
いや、むしろ、
本が意思を持っていたら面白いだろうな。
とさえ感じる。
言葉が通じないからといって、
意思がない訳でもないと思うのだ。
本には作者が書いた文字の羅列があるのだから…。
人を通して、意思を持つ…?