空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

ミニョネット号の事件 カルネアデスの船板の話の考察

ミニョネット号事件の問題

 

誰か1人をを犠牲にするとしたら誰を選ぶ?

 

という問題。

生存者4人

船長 航海士 船員 給仕(雑務 見習い)

救命ボート カブの缶詰が2個

 

食料はすぐに底をついた。

雨水で喉を潤していた。

漂流5日目、ウミガメの捕獲。 

漂流18日目ウミガメも食べ尽くし、食べるものがない状態。

 

19日目

船長「この中の誰かを犠牲にしよう。

クジで当たった人を犠牲に

3人を生き延びさせる。

それした生き延びるすべはない。」

この提案は却下された。

 

20日

1人が喉の乾きに耐えられず海水を飲む。

しばらくして、

虚脱状態が発症。(死ぬのも間近)cさん

この人を殺して、その血肉で生き延びようと

船長が提案。

1人は猛反対。aさん

船長は説得する。

 

船長として

皆が死ぬような道は選べないこと。

家族が待っていること。

そのために、

生き延びなくてはならないこと。

cさんが、死ぬのを待っていては血は凝固して飲めないこと。

 

頑なに猛反対 aさん

 

気が進まない bさんは最後には同意する。

そして祈りを捧げcさんを殺害、食料とした。

bさんも血肉を口にします。

 

その5日後彼らは救助される。

その後の取り調べにより、

船長とbさんは裁判にかけられ1度は死刑を言い渡される。

 

後にヴィクトリア女王によって特赦される。

禁錮6ヶ月に減刑

世論は無罪との意見が多かったためと言われている。

 

カルネアデスの船板も含めての考察。

 

 

“ ここから考察”

 

まず言えるのが、

ウミガメが生息していた。

魚が取れるはず。

他にも食料代わりになるものがあるかもしれないが、(革靴等あれば)

描写されていないから排除。

 

船長が誰かを犠牲にして生きながらえるという提案をした時点で、

誰かを殺すと明言しているのと同様に感じられるが…

そこは危機的状況だから見逃されるのか?

自らが犠牲になるという話もない。

 

殺して血肉を食べる前に、

缶切りや、何かしらの道具があったのではないか?

(缶詰やウミガメを食べ尽くしたという所での話により考察)

海亀の甲羅等を利用して

海水を蒸発させ、水を作ることはできる。

時間はかかるが、できないことは無いはず。

人数が人数のため難しいかもしれない。

 

衰弱しているとはいえ、

体力を消耗してる人が、人を殺すのは大変な作業のはず。

 

色々考察できるが……

生存本能と、

今生き残れる最善の策を講じた為、

人を殺害して生き延びた。

 

赦す、赦さないを決めるのは

死にゆく肉体の主人が決めることだが、

この場合では

責任の決定権を持っているのは第三者の視点のみ。

 

cさんに身寄りがないことも世論に影響した。

 

この事が加われば、問題は別だ。

cさんを犠牲にした理由が待ってる家族が居ないからというのであれば

許されるべきでは無いかもしれない。

 

例えばそれが船長であれ、a、bさんであれ

家族が待ってる。死ぬな。

という状況になるかもしれないし、

喉の乾きで海水を飲むのを止めなかった周りの責任もあるのでは?

 

どこかしらで誰かが死に近づき、

落とし所を見つけていた所、

不幸にもcさんが犠牲になった。

という事で落ち着いたのであれば、

許されるべきだろうか?という話。

 

cさんを殺して10分後に救助されたなら、

殺人を犯した事になるし、

5日後に救助されたことを考慮して

許されているならば、

結果によってその判断は変化するということ。

 

やはり、どちらに立っても結局はやじろべえの様な状態に立たされるのだ。

判断材料がどちらに傾くかによって

許す、許されない。とされているだけ、

 

本人達にとっては死活問題。

正当防衛?生存本能と、状況的によって

それがなされた為……

 

許すかどうかは必要なのか……?

 

あれ?問題の論点がズレてきてる?