男として見ていない、
女として見ていない。
その背景には
人間として見ている。が隠されているのではないだろうか?
興味の範囲外、近親者、
友人や敬愛する人等々を除けば
男女がどうのという考えの前に、
性別を分けることに対して差別的、もしくは
色眼鏡をかけているという事になるのではないだろうか?
別にそれがどうという訳では無い。
性別を無視して対等に語り合える存在、
もしくは、それに値する信頼等が築かれている。
または、性別を気にしておらず、
人間として見ている。
同類として見ている。
肉の塊に知識が付いていて、
語る事が出来る口が備わっている。
とでも考えているのかもしれない。
人であって、
見ているのは人か頭の中(知識と好奇心)か、
どれを見ているのか。