空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

手段と、ひとり

エレメンタリーを見ながら、

シャーロックが

“人間は本質的に1人だってことを和らげる手段に過ぎない。”

 

という言葉に納得できるからこそ、

1人なのにひとりじゃないし、

絶対的に1人になるには全てを手放した後ではないか?と思った。

 

場所や物がある限り、

人は1人ではないし、ひとりにはなる事は出来ないのでは無いかと思う。

 

例えば、1人で携帯を持ってどこかへ行ったら

携帯というモノに

どこかで必ずと言っていいほど

1人でいることを邪魔される事があると思う。

なにかの通知だったり、電話だったり、

はたまたメールや、LINE。

 

モノを手にしている、対峙している、

認識している、それだけでひとりでなくなる。

 

例えば、本を読んでいる。

本が相手をしてくれている。

本が生命体でないとしても、その中に書かれた物語は、一種の生命体だ。

ほら、私はひとりじゃない。

 

眠っている時、夢を見ていない時、

それはひとりかもしれない。

でも永続的なものでは無い。

ならばひとりじゃないだろう。

 

全てが終わった時。

私がただの肉の塊になって、

話すことも、食べる事も、

聞くことも、見る事も、

息をすることをやめた時。

人はやっとひとりになるんじゃないかと思う。

 

個々がある事で1人だと言うこと。

生きていることで、1人だということ。

亡くなってやっと“ひとり”になること。

だと思っている。

 

伊藤計劃さんの作品、

ハーモニーの作中、ミァハが

“誰かが孤独になりたいとしたら、死んだメディアに頼るのがいちばんなの。

メディアと、わたしと、ふたりっきり”

 

ふたりっきり。そう、書かれてある。

だから、きっとひとりにはなれない。

本が私を見てるから、

私が本を読んでいるから。

私だけになれない。

孤独にはなれるのに……