どこまで書いたっけ…?
P44~45
見返りを求めた時点でそれは愛ではなく、対価なのだ
与える=美徳でも犠牲でも貧しくなることでもない
与えるという行為が自分の生命力の表現
与えるという行為=与えられる
ー愛するということ 著フロムー より
考察含む
与えるという行為=与えられる
対価は発生しないが、気づくことはできるしそれによって豊かになる?
与えるという行為が自分の生命力の表現
=命を与え、共に生きる?=豊か?
心が豊かになるという意味では、
与えることに喜びを感じ、相手の成長を喜ぶことが出来る。
互いに成長し合える関係
もしくは親子、師弟、兄弟、姉妹等の関係性も含まれる?
自分の生命を与えるという行為について
自分の生命
=他者のために生命を犠牲にすることではなく、
自分の中に息づいているもの全てを与える。←
自分の喜び、興味、知識、理解、
ユーモア、悲しみ、自分を構成するものすべて
=自分の生命を与えることで他人を豊かにし
自身を活気付ける
もらうために与えるのではなく
与えることが喜び
(ノートメモ一部不明な箇所あり)
与えたものと共に時間を与えることで息づく生命
=愛とは愛を産む力であり、愛せなければ愛を生むことはできない。
知ることで知を深める
=自分を(鏡のように)知ることができる
他者を知り自分を知り、尊重し配慮できるようになる。
知ることで与え、与えられ対等になる
ただ与えられる状態は、赤子の時まで。
成長する度に変化し続けてきた自分とその世界
自己を愛し、慈しむことを愛に繋がる。
=自己を愛するということが、他者を愛するという事につながり、
与えるという行為に繋がる
尽くすということではなく、
与え、与えられる関係こそ
理想とする対等な関係であり、
互いに成長出来る関係性であれるのではないだろうか?
そこには尊敬の念がなければいけない
相手を尊重できるならおよし。
どこまでを線引きするか。
それを間違えないように間違えないように気をつけないといけない。
じゃないとその理念は簡単に崩れる。