空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

言葉

“人は言葉(もしくは言語)に頼りすぎている”

という言葉には同感するが、

同意とまではいかないかもしれない。

 

言葉で定義もしくは、それという存在を

確定している節があるからだ。

 

存在の証明として、名称として位置づけ、

もしくは区別。

 

だがその反面、

それが無ければ存在や、定義を確立するのが

難しいのかと問われれば

そうではないと言えるだろう。

 

少なくとも、文明がまだ未発達の時代では

この前提は否定されるのであろう。

だが、今はたくさんのモノが溢れている。

 

言葉だけに頼っている訳では無いだろうが...

それを全否定するには至らない。

 

まだまだ勉強不足だな...

生とは?死とは?

生きている。

それを感じ取る時は、

死を間近に感じなければ分からない。

 

生きている=死んでいない。

ではなく、

生きている=呼吸している。

動く、もしくは動かせる。

見えている。見えていなくても。

思考がある。感情が動く。

 

肉体が滅んでいない。

精神が滅んでいない。

存在が他者によって確立されている。

 

様々な要因によって成り立つものが

"生"だとして、

その逆は...何?

明日という言葉の存在について

明日なんて永遠に来ない。

今日が明日になれば、
明日という存在は今日になってしまう。

だから、明日なんて来ない。

有るのは今日だけ。

時間が全てを牛耳ってたとして、
人は数学的解釈でしか測れない。

 

という一つの仮説?概念?

言葉遊び。

知りすぎたら

戻れない。人も酒も

 

美味しい酒の味を知ると、

少し劣るものを前ほど美味しく感じられなくなるのと同じように

戻れない。

人は成長する度に、過去のその時の心には戻れない。

深く追い詰めれば

物事、事物、主観的なものは、

何かに頼ってもしくは、相対的な存在で成り立っている?

 

深く追い詰めれば、己を知る事とかけ離れ、

思考の闇に呑まれる。 

 

深淵を覗きすぎるのも、

真綿で自らの首を絞めるのも、

主観的なものでしかないんじゃないだろうか?

いや、もしかしたら、客観的な...

意識の集合体?

言葉に頼りきりすぎるのもダメだな...

 

気をつけねば。