空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

ウェルテル 引用 理解

生きていて、人が人を理解するという事は、

めったにはないのが常なのだろう。

 

-若きウェルテルの悩み- より引用

ゲーテ

 

 

理解されない。しようとしない。

ただそこにある見解だけなのだ。

やはり、見解でしか見えない。

 

共感でも理解でもなく、

常に見解と言葉が互いに対立するための手段に過ぎない事を忘れてはいけない。

 

同志はできても、

本当の意味で友は出来ない。

 

これはそういう事も含めているのかな...

思いつき。 夢

実は夢の方が現実だったりする。

 

なんてな。

まさしく、ゲームと同じ様なものだ。

 

ゲーム。セーブはオート。

やり直しは効かず。

寝て、夢を見る時だけ本当の現実に戻る。

だから目が覚めた時、

夢の内容をほとんどの人は忘れている。

 

という想像。

思考の産物。

読まなくていい。ただのメモ、、、

harmonyとハーモニー

 

多分他の人も手に取ったであろう、

伊藤計劃さんのハーモニー。

 

“harmony”(新訳版)と“ハーモニー”

どちらもそう、良いのだがやはり、

ハーモニーの方がどちらかと言えば好きかもしれない。

 

harmonyは読みやすい、

だか、少しなんと言うか...

孤独に置いてかれて、ミァハとトァンの位置に立てなくなる。

いや、立ちにくくなるというべきかな。

 

表現するための言葉が...足りない。

 

もどかしい。

 

女と音と...

どうして女というのは靴の音を

“カツカツ”鳴らして歩かねばならんのだ。

 

自分の存在を周りにそんなに誇示したいのか!?

 

時として、その音は必要とされ、

賛美される事もあろうが...

一方から見れば不快音でしかない。

 

そんなに

“私はここに居るの!”

“こんなに高いヒールで美しく歩いてるのよ?”

“この音を聞いて!私が歩くわ!”

 

の様に(これは言い過ぎかもしれないが)

自己主張の激しい生き物だったろうか?

 

人間は不思議な生き物だ。

言葉や音、外的刺激が...

 

なんと言えば良いのか。

そうだな...

 

生きている限り主張し続ける存在?

 

といえばいいのかな?

ほんとに不思議な生き物だな。