空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

書きかけ

変わった未来だからこそ、

過去の干渉が出来る。はず。

 

ドラえもんの1話目を思い出すと、

そう思えてくる。

 

Last day of juneというゲーム実況を見ながら

今日はやけにタイムマシンとゆかりがあるものに出会うなと思う。

 

収束するのでは無いかもしれない

変えた、もしくは変えられる。

変わった未来がある

 

今(過ぎ行く過去)に生きている私たちと

未来と過去の私たちが

同時に進んでいる、

 

未来は観測された時点で過去に変わる。

今は観測するか、まだされていない。

されない状態の何か

意識?概念?無機質?空間、時間?何なのか

私には分からないし、決められもしない。

今を認識、観測しつつ過去に消えていく……

 

確実で曖昧なもの。

 

スタートは同じ、

ゴールも同じ

でも観測者が……

パラレルワールドとか

きさらぎ駅とか行った人は行方不明とか、

その人の存在が消えるとかなんとか

あった気がするが、

あんまり覚えてないので省くとして。

 

パラレルワールド

もし仮に行けたとして、

行った先と元の場所で世界線の収束……

でいいのか?

 

収束というより、1人の人間の存在単位が近い…?パラドックスか?

 

イメージ……

タイム・マシン 著 H.G.ウェルズ

今回の話は2002年公開された作品の方

物語は、主人公の彼女が強盗に殺されてしまう事から始まる。

主人公は彼女を死なせない為に

過去を何度繰り返しても、

彼女の死を止めることが出来ない。

 

まぁ。過去にも書いただろうが

 

過去を何度繰り返しても死を止めれないことが今回話。

 

現在認識してる世界 と パラレルワールド

                                A→A.になる訳でもなく、

                                A→Aに移っただけ。

 

じゃあ、

元いた場所と、行った先の世界では

1人分の何かが欠けたのと増えたのでは

世界が均衡を保つ為に世界線の収束?

をした場合、

 

パラレルワールドでは

代わりに誰かが死ぬかもしれない。

消えるかもしれない。

誰かに成り代わるかもしれない。

 

元の場所では

その人が消えた。(失踪した)

存在が消えた。

(元からいなかったことになった)

誰か代わりにAさんじゃない誰かに成り代わった。

もしくは、パラレルワールドの人と入れ替わった。

 

という考え。

実際の所、消えたら消えた。

失踪なり何なりで、周りの人の意識から消えることや、

そこにあったものが消えることはないだろうとは思うのだが、

証明の仕様がない。

 

観測者が私だから、

観測者が観測対象を自分には出来ないし、

他者を使って観測しても結局のところ

ウィグナーの友人説とか、

シュレ猫とかそっちの話になるだろうから。

 

行った先で通信ができるかも分からない。

観測の仕様がない。

そもそも、行った事に気付けなければ、

観測も、認知も、意識の把握も仕様がないのだから。

 

戯言になってしまう。

可能性を突き詰めて証明をしようと思ったら、

それを観測できる何かがないといけない。

技術的にも、自分の思考や他者の考えも

 

想像や空想、物語の中で、

イメージだけが漂っている。

それを具現化出来れば、

話をするのも容易かろうに。

 

電気信号をコピべして

3D画像なり、

動画なりなんなりで表現出来るなら

頭の世界(思想、空想、想像)の天才が生まれそうな気がするが、

それを言ったら今まで苦労して作り上げたものが、努力が無に帰すんだろうな。

 

ひらめきだけでものが出来上がって、

それがデータとして残る。

忘れることはあってもデータは残るし、

それに加工を加えて技術開発したら先駆者はぼろ儲け。

 

その中で天才が生まれ、

技術者は増えるのか減るのか…。

想像力が強い人ならば生き残れそうな…

少数派の世界になるのか、

少数派の中の多数の世界になるのか。

 

ああ、また話がズレていく。

ツァラトゥストラみたいな人が増えそうだな。

いや、バスチアンかな。

ルシアンかもしれない。

 

想像する事は楽しい。

だが、自分の世界には限りがある。

持ってる知識だけでは足りない事がある。

今思いついたこともいつかは忘れてしまう。

だから書き留めておこう。

 

私が死ぬまで。

人魚姫

ラスト

人魚姫が泡となり、空気の精となる。

 

人間が死んだら魂があるが、

人魚は死んだら泡となって消える。

 

人に本当に愛されれば

その人の魂が注ぎ込まれて

魂は生き続けることが出来る。

 

これ矛盾してないか?

人の魂が注ぎ込まれて

人魚姫 人間 の魂の同居、

同化することになるんだから、

魂のキャパオーバー起こしたら人魚、人間のどちらかが消えるんじゃ…

ミニョネット号の事件 カルネアデスの船板の話の考察

ミニョネット号事件の問題

 

誰か1人をを犠牲にするとしたら誰を選ぶ?

 

という問題。

生存者4人

船長 航海士 船員 給仕(雑務 見習い)

救命ボート カブの缶詰が2個

 

食料はすぐに底をついた。

雨水で喉を潤していた。

漂流5日目、ウミガメの捕獲。 

漂流18日目ウミガメも食べ尽くし、食べるものがない状態。

 

19日目

船長「この中の誰かを犠牲にしよう。

クジで当たった人を犠牲に

3人を生き延びさせる。

それした生き延びるすべはない。」

この提案は却下された。

 

20日

1人が喉の乾きに耐えられず海水を飲む。

しばらくして、

虚脱状態が発症。(死ぬのも間近)cさん

この人を殺して、その血肉で生き延びようと

船長が提案。

1人は猛反対。aさん

船長は説得する。

 

船長として

皆が死ぬような道は選べないこと。

家族が待っていること。

そのために、

生き延びなくてはならないこと。

cさんが、死ぬのを待っていては血は凝固して飲めないこと。

 

頑なに猛反対 aさん

 

気が進まない bさんは最後には同意する。

そして祈りを捧げcさんを殺害、食料とした。

bさんも血肉を口にします。

 

その5日後彼らは救助される。

その後の取り調べにより、

船長とbさんは裁判にかけられ1度は死刑を言い渡される。

 

後にヴィクトリア女王によって特赦される。

禁錮6ヶ月に減刑

世論は無罪との意見が多かったためと言われている。

 

カルネアデスの船板も含めての考察。

 

 

“ ここから考察”

 

まず言えるのが、

ウミガメが生息していた。

魚が取れるはず。

他にも食料代わりになるものがあるかもしれないが、(革靴等あれば)

描写されていないから排除。

 

船長が誰かを犠牲にして生きながらえるという提案をした時点で、

誰かを殺すと明言しているのと同様に感じられるが…

そこは危機的状況だから見逃されるのか?

自らが犠牲になるという話もない。

 

殺して血肉を食べる前に、

缶切りや、何かしらの道具があったのではないか?

(缶詰やウミガメを食べ尽くしたという所での話により考察)

海亀の甲羅等を利用して

海水を蒸発させ、水を作ることはできる。

時間はかかるが、できないことは無いはず。

人数が人数のため難しいかもしれない。

 

衰弱しているとはいえ、

体力を消耗してる人が、人を殺すのは大変な作業のはず。

 

色々考察できるが……

生存本能と、

今生き残れる最善の策を講じた為、

人を殺害して生き延びた。

 

赦す、赦さないを決めるのは

死にゆく肉体の主人が決めることだが、

この場合では

責任の決定権を持っているのは第三者の視点のみ。

 

cさんに身寄りがないことも世論に影響した。

 

この事が加われば、問題は別だ。

cさんを犠牲にした理由が待ってる家族が居ないからというのであれば

許されるべきでは無いかもしれない。

 

例えばそれが船長であれ、a、bさんであれ

家族が待ってる。死ぬな。

という状況になるかもしれないし、

喉の乾きで海水を飲むのを止めなかった周りの責任もあるのでは?

 

どこかしらで誰かが死に近づき、

落とし所を見つけていた所、

不幸にもcさんが犠牲になった。

という事で落ち着いたのであれば、

許されるべきだろうか?という話。

 

cさんを殺して10分後に救助されたなら、

殺人を犯した事になるし、

5日後に救助されたことを考慮して

許されているならば、

結果によってその判断は変化するということ。

 

やはり、どちらに立っても結局はやじろべえの様な状態に立たされるのだ。

判断材料がどちらに傾くかによって

許す、許されない。とされているだけ、

 

本人達にとっては死活問題。

正当防衛?生存本能と、状況的によって

それがなされた為……

 

許すかどうかは必要なのか……?

 

あれ?問題の論点がズレてきてる?

 

 

知 続き

知っていることを分類すればいいのか。

 

どこまでが知っていて知らないのを分類すれば、

(ここまでは)知っていると言えるのだから。

 

 

知覚情報として?

知識として

視覚情報として(文献も含む)

聴覚情報として

と分かれれば、

忘れた事を思い出した=知っている情報

として捉えるか、

知らない情報として捉えるか。に分けるのが容易くなるはずだ、

知っている ということについて

認知して、1度はインプットしたのだから

忘れた事を思い出したのは

元々知っていた情報のひとつと考えるべき……

 

いや、もっと単純に

引き出しに入れた。と、考えるか。

思い出した=引き出しから取り出した。

 

1度は知った。

でも、忘れたなら知らなかった。

忘れた=リセットとして考えるか。

 

情報を

耳から得て知ったもの、

視覚情報、

触覚情報、

 

全部合わせて知ったということか?

聴覚情報だけ、

視覚情報だけ、では知識としてはあるが

それを知らないとされるのか?

 

大抵は本物を見たことを無いのか!?

と言われることが多い。

なら、これは知っているでいいのか?

悪いのか?