空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

疑問

それだから、それになる のか、

その過程でそうならざる負えなかった のか、

あるべくして、そうなった のか

 

蛙の子は蛙と言うように...

だが、

 怪物と闘う者は、

その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、

深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

(ニーチェ)

 

という言葉もある。

 

ただの言葉遊びだな。

愚問でしかないようだ

ヒエラルキー3

 

人が居るかどうかで他者より上かどうか。

そんな事を自慢し、その考えを他者に押し付けるのは傲慢以外の他にならない。

 

仮に、ヒエラルキーが上になるとして、

だからどうしたと言うとのだ?

誰かが居ないと自分の価値を優位、

もしくは上げられないのなら、

それまでの存在で、

それまでの価値しか与えられない。

 

無いに等しい価値を他者で補い、

共に生きるのがおかしいという訳ではない。

 

虎の威を借る狐になるのか、

自分の能力、実力で価値を上げれるのか、

という話だ。

 

ブランドは虎、自身は狐。

他者は虎、自身は狐。

 

ブランド、他者ともにファッション。

 

ブランドは身だしなみ。

(自身にそれだけの価値があるから?

地位にあるから?)

 

言葉を変えただけ。

傍目を見ればすべて同じ。

 

同じ事なのに、それに気づかない。

 

言葉

“人は言葉(もしくは言語)に頼りすぎている”

という言葉には同感するが、

同意とまではいかないかもしれない。

 

言葉で定義もしくは、それという存在を

確定している節があるからだ。

 

存在の証明として、名称として位置づけ、

もしくは区別。

 

だがその反面、

それが無ければ存在や、定義を確立するのが

難しいのかと問われれば

そうではないと言えるだろう。

 

少なくとも、文明がまだ未発達の時代では

この前提は否定されるのであろう。

だが、今はたくさんのモノが溢れている。

 

言葉だけに頼っている訳では無いだろうが...

それを全否定するには至らない。

 

まだまだ勉強不足だな...

ヒエラルキー 2

恋人がいるからと言って、

ヒエラルキーが上とは限らない。

 

価値を決めるのは本人。

他人が決めた価値で他者を見比べるのは

色眼鏡で見るのと一緒だ。

生とは?死とは?

生きている。

それを感じ取る時は、

死を間近に感じなければ分からない。

 

生きている=死んでいない。

ではなく、

生きている=呼吸している。

動く、もしくは動かせる。

見えている。見えていなくても。

思考がある。感情が動く。

 

肉体が滅んでいない。

精神が滅んでいない。

存在が他者によって確立されている。

 

様々な要因によって成り立つものが

"生"だとして、

その逆は...何?

明日という言葉の存在について

明日なんて永遠に来ない。

今日が明日になれば、
明日という存在は今日になってしまう。

だから、明日なんて来ない。

有るのは今日だけ。

時間が全てを牛耳ってたとして、
人は数学的解釈でしか測れない。

 

という一つの仮説?概念?

言葉遊び。