空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

逃げ場所の必要性 (戯言)

他人は平気で誰かを殺しにかかる。

 

社会に出ればそれが露わになる。

特に職場内。

 

勘違いから来るものも、意思の疎通がちゃんとなってないものもあるとは思うが、

そいつの逃げ場所を取ることは、

そいつを間接的に殺しにかかってる事だ。

 

そして、そこで我慢してくれ。

そう言うのは死んでくれても構わない。

と言ってるのと同じだ。

 

上司に相談しろだの簡単に言う事は、

その上司が信頼に値するか、

信用できるか。

そして、利用出来るかという事を踏まえて言ってるのだろうか?

 

本当にダメならその場から逃れるか…

(これは予兆。サインの一つでもある。)

会社を辞めてる。

そういう風に追い込んだのはあなた達です。

これからも繰り返すんでしょ?

それならずっと繰り返してればいい。

その結果がどうなろうとあなた達がしてきた結果です。

 

私は知りません。

さようなら。

 

そう言われてもおかしくもないのだから。

 

学習しないのがあなた達がです。

 

それに気づけないなら、

そう言う人間しか集まりません。

 

だから、本当に必要な人材が居るのなら

上司に頼れる空間を作るべきではないだろうか?

社内カウンセラーや、

コンサルタントの様な人を置くのも一つの手だ。

 

それで変わるなら、その会社は成長して行けるのではないだろうか?

 

だから、逃げ場所を作る事は大切なのだ。

逃げ場がなれば人が消えるか、

人を殺すかだ。

いつしか会社も消える。

 

気付けるかどうかだ。何にしても。

目の前にいる人は、あなたを生かす人ですか?

殺す人ですか?

 

自分が自分でなくなるなら、

それは殺す人達です。さようならしましょう。

怖いだろう。だがそこにいては死んでしまう。

 

飛べないのではなく、飛べなくされたなら、

別の逃げ方があるはずだ。

見つければいい。きっと見つかるから。

何とわなしに

Androidに人権は必要か?

 

前提か間違っている気がする。

 

そもそも、

Androidとは人間の作った

人間らしい考え方の集合体で、

それを人間として捉えるか、というのが最初の疑問ではないだろうか?

人間はずるい。

 

自分達には人権、人権言うのに、

動物や、植物、家畜にはまるで権利すらないかのように考える。

 

だから前提が間違っているというのだ。

 

人間以外にも生きる権利はあるし、

人間が頂点だと言う考えを改めなければ、

人間だのAndroidだの

人工知能だのと分けて考える事すらおかしいのだ。

 

それを忘れてはいけない

ユートロニカのこちら側 小川哲

ユートロニカのこちら側
まだ読んでる最中なんだが、

なかなか面白い。

 

伊藤計劃さんの“ハーモニー”


デイヴ・エガーさんの“ザ・サークル


ジョージ・オーウェルさんの“一九八四年”

を掛け合わせた雰囲気がなんとも言えない良さを醸し出してる。

 

作中の

“足し算の出来るゴリラは

朝食のあとにブラックコーヒーを飲むか?”

という質問には色々と考えさせられる!

 

まず、足し算の出来るゴリラ。

これを人の比喩としているならば

 

ゴリラ体型な人なのか?

雰囲気がゴリラっぽい...いや、これは失礼な言い方だな...。

 

ゴリマッチョとしよう。

 

逞しい筋肉をした男性のイメージが浮かび上がる。

アメリカか、中南米の方の方かな?

タンクトップとジーンズが似合う感じの方のイメージ。

 

ブルース・ウィルスさんや、

サミュエル・L・ジャクソンさんが

1番イメージに近いかもしれない。

 

彼等が朝食のあとにブラックコーヒーを飲むか?

と聞かれれば、飲むかもしれないし、

飲まないかもしれない。

だが、イメージとしては飲む(飲んでほしい)

という感じだ。

 

逆に人の比喩では無いと称して考えてみよう。

ゴリラが、朝食(リンゴやバナナ)を食べて

その後にブラックコーヒーを飲むのか?

 

甘いものを食べて口直しがしたい。

と思うかもしれない。 

 

それとも、人の様に習慣でコーヒーを飲むかもしれない。

 

物語の様に、スーツを着たゴリラが朝食のあとに新聞を読みながら

片手にブラックコーヒーを...

なんてあるかもしれない。

 

動物園や野生のゴリラがブラックコーヒーを飲むか!なんて言う人も居るだろう。

 

そもそもなぜブラックコーヒーなのか?

紅茶やスムージー、ジュース、お酒だって有り得るかもしれない。

 

ここで問題なのが、

“足し算の出来る”という事だ。

 

足し算ができるなら、

他の計算も出来るかもしれない。

という考えに繋がる人もいると思う。

私がそうだ。

 

足し算なんて、なんて思うかもしれないが、

足し算が出来るなら、

ある程度の知識もあるはずだ。

 

それがどれ位なのかは分からない。

そうなってくると、

飲まない可能性よりも、

飲む可能性の方が強くなってくるのではないか?

と思ってしまう部分がある。

 

そこに ぽん と置いてあったりしたら飲むかもしれない。

飲まないかもしれない。

 

なら、飲む方が面白そうじゃないか。

と思ってしまう。

 

飲む可能性についてばかり語ってしまってるが、

飲まない可能性は

普通に考えてゴリラが人の様に

ブラックコーヒーを飲む姿を“想像出来ない”

もしくは、

それは“ありえない”からという感じなのだろう。

 

私は飲むと思う。

 

私は飲まないと思う。

 

このどちらも答えなのではないかと思う。

自分が選択した答えにこそ、意味があると思うから。

 

ノーストリリアももう少しで読み終わるし、

他のも読み進めないとな。