空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

ある仮定

作家の島本理生さんのインタビューの話を聞いて、

話の中で〝あるミステリー作家さんが人の効率的な殺し方について〟という話が出てきた時にこういう仮定をしてみた。

 

前提はバーチャル世界であること

男女5名ずつ

法律、規則は無し。

お互いに名前も顔も知らない

 

法律も規則も無いなら人はどう生きるのか。

ひとつの大きな街で、

彼等だけ。

そうだな…都会の方と、田舎の方で関係性が変わるのかも知りたい。

 

法律も規則も無いなら、

誰かがルールを作ろうと言うかもしれない。

 

もしかしたら

誰かが人を殺し始めるかもしれない。

 

法律も規則も無いなら

規律も無くなる。なら、何をやってもいい。

という事にはならないだろうか?

 

逆にペナルティがないが為に、

何も出来なくなる人も居るだろう。

 

なんでも出来るなら、なんにも出来ない。

という状態にもなる。

なら、人はどうするのかを知りたい。

 

監獄実験の話の様に人が役になりきるのか?

だとしたらどんな役に?

 

なりきらないとして、

人は互いとどう向き合っていくのか。

 

知りたい。

可能性は尽きない。

今頭に浮かぶのがここまでで、

それ以上にならないのは、今の限界がそこまでだから

探し物をする時に

目の前にあるのに、気付けなくなってる。

不思議なものだ。

 

気付けなくなるのは何故?

 

目に入らなくなるのは何故?

 

人は都合の良い様に考える様になってる。

不思議なものだ。

変わる変われ。

視点を変えれば見えるものが変わる。

 

でも、嫌いな人への先入観というか、

この人はああいう人なんだ。

 

と、いちど認識してしまうとその考えからは抜け出せない。

 

そして、

その人から受けたものがどんどん積もっていくと、

やがてその人への信頼も、尊敬も、

興味も無くなっていく。

 

そして、

不信感と、嫌悪感だけが募っていく。

 

でも、いい面もある。

こんな大人になりたくない。

と、

反面教師になってくれている。

それに関しては感謝すべきだろう。

 

このままずっとそうして生きていくと、

自分の心を病んでしまう。

 

脳が死んでしまう。

 

機能停止真近。

早く病院へ行きましょう。

休みをもらって回復しましょう、

 

となるやもしれない。

 

だから、変わるか、変えるしかない。

他人ではなく、自分の脳を。

意識を無意識に、

 

スイッチをoffに。

 

そうしたら他人に殺されることは無くなるやもしれない。

 

実は自分を追い込んでるのは自分かもしれない事に気づいて、

休むべきだと思うやもしれない。

 

どうあって、こうあって、

もういいや。ってなった時はもう手遅れ。

でも、手遅れなのは自分の中の意識だけで、

少しやりた方を変えればピッタリピースがハマるかもしれない。

 

やってみないことには分からない

 

でも、他人への助言を求めるなら、

他人に自分のケツを拭かせるな。

って事を肝に銘じておかないといけない。

 

他人はあくまでも他人。

 

疲れたら、全て忘れて休めばいい。

他人は関係ない。

他人に殺される前に、休め、

 

夢の話、

素敵な展示会の夢を見たんだ。

バルコニーに色んな植物が置いてあるような感じ。

壁には鏡、その手前に1本の木

そして、一人の女性の石像。

 

ここまでは何ら変哲も無い、展示会で、

綺麗だなと思う。

カメラを取り出し、

写真を撮る、

何枚か撮ってから異変が起こる。

 

画面越しで石像の女性が踊っている、

すごく楽しそうに、

そこから、

バルコニーのような所から、

展示会の中を走り回る。もちろん楽しそうに、

 

この夢を見て、面白かったのは

画面上では石像の女性が動き回っているのに、

現実ではそんなことはありえず、石像のままな事だ。

 

カメラを向けると映像が再生されるような仕掛けが処置してある事。

 

QRコードを読みとるでもなく、

勝手に自動再生されるのが面白い。

いつか、未来でこんな事が有り得るのかもしれない。

アンドロイドにとっての脳とは?

機械部品の1部か?

それともそれを動かすシステムか?

電気信号?

形のないもの?

コア的なものか?

 

人にとっての脳は頭蓋骨に守られた肉塊。

なら、アンドロイドは?

システム?

文字の羅列?

プログラム?

 

なんなんだろう…