空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

人の脳にチップを埋め込んだら?

もし、人の脳にチップを埋め込んだら

その人の考えを世界中の人と共有することが出来るはずだ。

 

イメージするなら、テレパシー

多分これが1番近いと思う。

 

電波塔、アンテナ…いや、送受信機か?

電子の海で生きる……攻殻機動隊

 

いやでも。(?)

 

人の脳内をバックアップ出来る。

そうすれば、肉体が滅びようとも

精神はデータの海の中でまだ存在してる。

 

そうすれば、我々は永遠に生きることが出来るのでは……?

 

人格説、身体説を考慮してみればの話だが

 

肉体の死を超え、精神の死を迎えず、

電子(存在)の海に漂う存在意識。

 

ハーモニー?

シュビラ?(PSYCHO-PASS)

ノーストリリア

電脳 ?(攻殻機動隊)

 

今思いつく限りの1番近いイメージ

限りなく

もし、仮に限りなく綺麗な細胞、

精神、肉体が出来上がったとして、

果たしてそれは人間なのか?という話。

 

イメージとしては、

伊藤計劃さんのハーモニー、

森 博嗣さんのwシリーズ

 

善を正義として掲げる。……?違うか。

自分にとっての善、社会としての善?

 

限りなく綺麗な細胞

 

限りなく……?でいいのか?

 

まぁいい。少しまとめたい。

善悪に関してはハンプティ・ダンプティ塀の上状態だから置いておいて、

それが何に対して、どうあるべき善なのかが問題。

 

綺麗な細胞。まっさらな細胞

ウィルスさえない細胞。

綺麗すぎる。

(綺麗なものは儚く壊れやすいイメージが少なくともある。)

 

例え全てが綺麗であっても、善悪の無い中立であっても、

限りなく善ななにかであっても

それが人間なのかということ。

 

私が持ってる人間の定義やイメージと、

これらの定義からくるイメージは全くの別物だろうと。

だから、汚い……と言ったらおかしいかもしれないが、

限りなく黒に近い何かが人間の1部で、

本質で、それら全てが人間を構成する何かなら、

限りなく綺麗な細胞、

善を突き詰めた人間というのは、

それは果たして人間なのかという話。

心臓が停止してから

心臓が停止してから、幾ばくか細胞が生きているはずだ。

 

心臓が機能しなくなっても、細胞が生きている部分があれば

それは生きているのではないか?

 

完全なる生とは違うだろうが、

明らかに死に向かっていること、

心臓はその役目を辞めたこと。

 

心臓や脳が主体でないと想定して、

細胞の集合体である人間が例え人格機能、

生存機能を辞めていても、

細胞が生きているなら、

私(の1部)はまだ生きてると言ってもいいのではないか?

無意識、

無意識は、人格機能を行使しているのかどうかという事。

自意識は人格を機能している。

機能していると言うのはおかしいかもしれないが、

人格としての機能は果たしている。

 

さて、無意識は、自明の選択は、

はたして、どうなのだろうか?

電子書籍は苦手なようだ。

好きな本を

電子書籍で読んでみようかと思い、

試し読みして数ページ。

 

本の質感が好きだぁぁぁぁー!

(スライドめんry)

という感じで脳内が騒ぎ出してきた。

 

紙媒体が!

好きな本は紙媒体がいい!

紙の質感や、紙の色、紙の匂い、

そこにあるという実感がたまらなく好きだ。

 

電子書籍が悪いとは言わないが、

好きな本は紙媒体の方が好きだ。

場所を取るのが少し難点だが、まぁでも、

初版本を並べて眼福と思ってる部分もある。