空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

メモ 本の書き込み

本に書き込みは出来ないなぁ…

書き込みをする人の話をネットで漁って読んでみてもなかなか理解し難い。

 

付箋を貼るのは大丈夫。

 

気になる事や、思いついた事はノートやここに書き溜める。=分けて考えたい。

客観視したい。のかもしれない。

 

頭の中から離れれば

それは 私だったもの。 になるから。

 

そもそも、本の余白に書ききれる程まとめられている訳では無い。

 

思い付きを書いてそこに引っ張られたくない。

思考しつつ読みたい。時もある。

 

見解、読解、思考、自分を理解。

 

あとは…本を汚したくない。とか?

その気持ちが無い訳でもないが。

本の世界を知って、理解しようとして、

自分の見解を見つけて、楽しむ。

そこに書き込むと、どうしても気が散るのかもしれない。

 

過去と今の変化に先入観?

既存の視点に目がいって

どうしてもそこから別の視点に辿り着けない。

 

どうやら客観視出来なくなるのが嫌なようだ。

それが自分であったものだとしても。

 

変化を楽しみたい。もっと高みへ…

貪欲な様だ。 と思う。

 

ランダム 考察続き

並行世界に干渉できること。
パラドックスが起きないこと。
ドッペルゲンガーになるのに、
時間軸がおかしいせいか、
消えていない。


並行世界で少し時間もズレてるのか?
行動によって可能性も、

結果も少しずつ変化する。
メモや、写真のことを考慮すると、時間が早くなったり遅くなったりしてる。


時間軸を移動した為に、観測している時点で変化が…?

彗星が通る間だけループしている。

切り離されてる、。

 

並行世界を跨ぐ度にコピペされる。

(どこでもドアみたいに。

ここでは、コピペされ、オリジナルが消えていない。)


ウィグナーの友人説…も入ってるとか?

 

つむじの向きが右だとか、

左利きだとか、

今認識してるの自分と違う部分を上げて世界を作ったらどれだけになるのか。

可能性は無限だし、

その中でパターンの組み合わせで近しいものはどうなっていくのか。

 

シュレディンガーの猫では、

猫が死んでるのと生きてるの2択に絞られるが

行動と可能性を繋げると膨大な量になり、

収束されないまま分類し続けられるとどうなるんだろう…

 

なんだかGみたいだな…

1匹居たら100匹いるみたいな。

ランダム 存在の確率 の紹介動画より

普通は可能性を観測する事によって結果が決定されてしまう。
はずなのに、それを選択肢として可視化できるうえに、
干渉まで出来るんだから恐ろしい。


世界線を渡った時点で記憶の相互と、

書き換えが行われる可能性があるのと、
ある意味ドッペルゲンガー現象が起きてるのだから、
お互いが消えるか、

片方が消えるか、

はたまた同時に存在するか。

ひとつに融合される。

選択肢を上げればキリがないかもしれない。

色々パラドックスが起きそうなものだが…

 

彗星が近くを通るだけで、

色んな影響が出て、並行世界が混じり合う。

普段は互いに干渉も観測も出来ない状態なのに不思議な作品だ。

 

と思いつつ、最初に映画紹介動画を見た時、

 

彗星が近くを通る時、色んな現象が起きる。

 

宇宙から何か受信してるのでは?

というよく分からない思考が浮かんだ。

説明がしづらく、理解もし難いが、

何と言うか…

重力を無意識で感じているように、

見えないエネルギーを無意識下で感じ、

幻覚を見ている…?違うな。

可能性を脳内(無意識下?)で広げ、

意識の共有に近いような…

可能性の共有…?

VRの世界を渡っているような…

 

言葉では説明するのは難しい。

バイスと脳内共有出来れば、多少は言葉にしやすくなるだろうに。(客観視出来る為、別の発見ができるようになる。)

言葉に意味を付けて、

それに意味を与えて、言葉で繕って、

当て嵌めなければいけない…

違うかもしれない。

 

名称と意味の付加価値を添えてやっとそれになる。

そういう風にしないと、

納得も、理解も、見解も、

上手くいかないんだろう。

メモ

肉体を捨てて電子の世界で生きていくとした時、

その世界のデータが誰かに書き換えられたとしたら、

気付く事すらなく、それが当たり前になる。

 

誰かの世界をそれが正しいと、

それが当たり前と、

本に書かれた物語の様な…

物語の主人公達(演者)になるのでは…?

 

演じる事が正しく、考える事を辞め、

与えられたものだけで、

自明で生きていくに近い、成れの果て。

だったもの。

 

色々と飛躍し過ぎてる…

まとまらない。

掴めそうで足りない。

 

現実と思ってたものが、

誰かの夢で、誰かの世界で、

バーチャルな世界、もしくは物語だとして、

他者に認識も観測されてない時が

別の誰かの意識の中だとしたら?

 

死が死でない可能性は…?

終わらない。

例えば、今いるaで死んで

死後bで目が覚めたとする。

bで目が覚めた時、そこは別の場所で

カプセルか何かの中で目が覚める。

 

そして、色んな人が何かをしている。

そこで賭けが行われていたりする。

だれが生き残るか。

どんな人生だとか、観測データを元に…

 

なんて、、、

メモ 善悪の彼岸 著 ニーチェ

形而上学者の前景的評価

 

当座の見通しでしかなく、

事によるとそれに加えて一角から見た見通し、

恐らくは下からみた見通し、

つまり画家たちがよく用いる表現を借りるならば、

いわば蛙の見方ではなかろうか、と疑う事が出来る