無意識の方から自意識の表層までに出てきた
それが、完全なる別の何かと繋がって、
わかったという認識だけを残して、
無意識に帰っていく。
言語で理解できないのか、
言語化するまででは無いのか、
はたまた、感覚的に理解はできるが、、、
なのか。
(これは言語化できないとも捉えることができるし、
言語化しないとも捉えることが出来る。)
なぜ言語化しないといけない?
自分が理解していればそれ以上はなくてもいいのでは?
自分の中で処理出来るなら、
出来たなら、外に出す必要は無くなるのでは?
いやむしろ、
外に出てはいけないものかもしれないのだから
(出してしまえばそれがどんな結果であろうと、認めなくていけない時があるから)
ここまでが否定的考え
肯定的考えで見てみるとしようか。
一度外に出すということで、
それを客観視できる。
深堀できる。
自分の中でいたちごっこした状態から抜け出せるかもしれない。
可能性をいくつも上げれる。
誰かと共有することが出来る。
新しい発見があるかもしれない。
→これは制度を上げることにも繋がる 。
(根底はここにつながる。)
タイトルに書いた通り、
一瞬の閃きは、運命の女神がくれたチャンスのようなもの。
きっかけをくれたに過ぎないとしても、
それをどこかにメモしておくことを勧める。
今関係ないと切り捨てたとしても、
もしかしたらどこかで繋がるかもしれない。
過去の文を読み返して気付く事があるかもしれない。
いつだって可能性は等しく転がっているものだ。
その時の自分が気づいて、取捨選択出来れば
…?この先が思いつかない。
分かりそうで分からない。
運命とは、悪戯に誰かを惑わして行くものなのか、
それともそう感じている私自身がそう、望んでいるのか。