空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

疑問

殺さずに生きることは可能なのか?

 

いや、そもそも、原子とかに意識を持たすとどんな反応になるのかが気になる。

 

集合体としてなら色々と…?でいいのか?

生物、無機物、その他諸々あるだろうが

 

意思疎通出来るかは無視して、

原子同士がくっついて

うんたらかんたらーって喋ってたら怖いな。うん。怖い。

 

世の中で1番?怖いのは人間だろうし、

人の体を構成している個々が意識を持ち出して

好き勝手されたら人間が人間の形を保つ時点で無理だろうな。

とさえ思う。

 

結局何にもなれないのか…

自由特製理論

“自分の価値を最大にする

ハーバードの心理学講義”

 

という本がある。

その中の一説、

“自分は複数の自分で構成されている”

とある。

 

時たま思う事はないだろうか?

自分の中で感情というものが1個人

(自分の分身と言えば分かりやすいだろうか…)

で役割分担をしているのではないか?

 

あるいは、

自分を客観視する自分が居るという方が分かり良いだろうか…?

そんな存在を、感じることはないだろうか?

 

それが、いつしか人生の先導者になるかもしれない。

 

自分以外の心友よりも、良き友かもしれない事を…

その存在を受け入れればきっと、

自分が何者であるかに気づけるだろう。

15回目の昨日 クリスティン・テリル

15回目の昨日という作品の1説に

 

“たとえばぼくが過去に遡って祖父を殺したとする。

その出来事は僕の行動によって固定される。

祖父が死ねばぼくは生まれないことになるが、

元々の時間にいたぼくの名残

ー影のようなものだー

が常にそこに存在して祖父を殺し、

必ず祖父をしんだままにしておくんだ”

 

という発言があるのだが、

“親殺しのパラドックス

これを思い浮かべる人もいるだろう。

 

過去に戻り、親を殺そうとすると

自分が生まれてこないため

必然と殺せないという状態に世界が改変するという話。

 

だが、この小説の中では、

そうだな、、、

なんて説明すればいいのだろうか…

 

世界線の話と並行世界の話かな?

これを混じえて話されているということだろう。

 

世界線Aが僕らの居る世界

世界線Bがタイムリープした先だとすれば

この話は成立する可能性が高くなるんじゃないだろうか?

 

世界線Bの方で祖父を殺して、

今の自分の存在が消えたとしても

限りなくBに近い(Aの)ぼくに殺されたと称するならば

パラドックスっは起きずに作中にあるように、

“ぼくの名残ー影のようなものー”が出来上がる。

 

名残が祖父を殺すことが出来るのだろうか?

という質問に関して言えば、

やってみないことには分からない。

 

改変した後の状況の確認ができない限り

ウィグナーの友人説…?

シュレディンガーの猫の話を引き合いに出して討論するしかなくなってくる。

 

これは1種の仮説であり、可能性の話。

それで自分の祖父なりを殺していいということになはならない。

 

そうだな。

あれだ、この世界の外側、

僕らの認識している世界の外側からの観測でなくては

この謎は改名出来ないかもしれない。

 

卓上の空論にしかならなくて、

ただの位置個人の頭の中で繰り広げられる

物語、思考、思想、空想、妄想、

可能性なんだっていい。

 

そんな欠片の集合体。で、言葉の羅列でしかない。

 

もし、この世界の他に、

いや、外側に観測者がいるのならば、

この謎を解明する手助けをして欲しいものだ。

そうすれば、

私のこの思想は満たされるのだから。

戯言

言葉は雄弁だ。

だがしかし、

伝え方ひとつで訥弁…じゃないな

ただの単語の羅列になってしまう。

 

言葉が繋がって文面になる。

 

文面になるから、書物になる。

 

書物になったら、誰かの物語になる。

 

誰かの物語は、何になるんだろ?

煌夜祭 多崎礼

語り部の物語。

 

すごく引き込まれるし、

朗読会でも開こうかなんて思ってしまうほどの作品。

 

この時間帯だ、

最後まで読むか迷ってるのだが

語るならば一言だけと思い、

ただ、ただ言葉を走らせる。

 

もし、自分がどちらかの立場、

この場合、

語り部か…物語の要と言うべきか、

魔物、化け物、人であって人ならざる者と

呼ぶべきなのか…

いや、

語り部達と対等の立場にいる以上、

彼等はそうだな…“聞き手”と称しよう。

 

語り部と聞き手、

彼等の生きた物語と言うべきかな。

 

人生と称するのは違うし、

 

ひとつひとつの物語に学ぶものさえある。

それは、

ニセモノがホンモノになる事だったり、

大切なものを守る為に

何をすべきなのかを考えさせられたり、

自分で答えを探すことの前に、

誰かにすぐ答えを求める浅薄さだったりする。

 

あぁ、なんて、、、

なんで、“気づけないんだろう”

なんて思ってしまうこともあると思う。

それに気付けたなら、

“その先は自ずと分かると。”

そう思わせてくれる作品だ。

 

だから終わらせるには惜しいのだ。

読み終わらせてしまうのが、

こんなにも惜しいのだ。

 

物語の中でならこんなにも飛べるのに!

なんて思ってしまうくらい、生きた世界なのだ。

 

あぁ、伝えたい事が、言葉が足りない。

ただ、ただ、

終わらせたくない。

夜通し語っていて欲しいくらいだ。

 

夜通し語る、シェヘラザード、

千夜一夜物語みたいだな。

王様の心を開かせ、誰も殺させない為の

誰かのセカイを語る語り部の話。

 

あれは、この物語によく似ている。