飛ぼうと思えば、いくらだって飛べる。
籠の中の鳥が、
扉を開かれても飛ぼうとしないのは
自分に問題があるからだ。
飛べるのに...飛べないのは
自分で枷を付けてるから。
分かってても、飛べないのは、愚か者だからだろうか?
飛ぼうと思えば、いくらだって飛べる。
籠の中の鳥が、
扉を開かれても飛ぼうとしないのは
自分に問題があるからだ。
飛べるのに...飛べないのは
自分で枷を付けてるから。
分かってても、飛べないのは、愚か者だからだろうか?
人の考えは、人の考え方だ。
それ全てを受け入れる事は出来ないし、
ましてや、捉え方に次第で
最初は同感する言い分だったとしても、
後々 これは...。と、思う事もある。
だからこそ、
上を向いて手を伸ばし、飛ぶのだ。
たとえ、イカロスになろうとも。
イカロスは地に落ちる。
父の忠告を聞かず、空を飛び続け、
あまつさえ、太陽に近づきすぎた。
だけど、イカロスが飛び続けれないのは、
その体が肉体だから。
思考なら、
いくらでも空を飛び、地に落ちてでも、
また空を見上げて飛べるのだから...。
忘れちゃいけない。
飛べることを。地に落ちることを、
いつかはその思考さえ働かなくなる事も。
これだけ自殺者が増えてたりするのに
人間は不老不死を求める理由は何なのだろうか?
まるで、伊藤計劃さんの“Harmony”の世界のようにでもしたいのだろうか?
でも今の人達は遠からず?近からず?
Harmonyの世界と似たものを感じる。
今は情報社会と呼ばれるほど、
情報に飢えている部分もあり、
情報がすべてだったりする部分もある。
物語の中では、
“watch me”と“オーグコンタクト”によって
その人の情報は全ての人に公開される。
Twitter、Facebook、辺りが一番近いものだろう。
自分を偽って、着飾って得るのもは何なのだろうか?
仮に、不老不死が成立したとしても、
いつかその状態から抜け出したいと思う人が
出てくると思う。
そんな時に、不死の状態で死ねないという状態になるのなら、
人々は屍者の帝国の様な状態におちいり、
不死者と、生の間で戦争が起こるだろうな。
今の世界で起こっている戦争なんてちっぽけなんだろうな、、、
DNAの、組み換えにより、
人が一種の不老不死になる様な話を聞いた。
これだと、心臓などの内蔵器官の年齢と言うべきか、
弱ってしまった器官でも...
例えば、80歳の人が20代の肉体に若返った時、
内蔵器官はその年代に戻るのかという事だ。
戻らなければ、寿命はそのままで、
一種の不老不死というのは
事実上不可能となる。
もはや遺伝子レベルの整形だろう。