空想思考

メモ書き。考察、見解。その他

飛びたい...。でも

飛ぼうと思えば、いくらだって飛べる。

 

籠の中の鳥が、

扉を開かれても飛ぼうとしないのは

自分に問題があるからだ。

 

飛べるのに...飛べないのは

自分で枷を付けてるから。

分かってても、飛べないのは、愚か者だからだろうか?

飛べるのだ。翼が無くとも

人の考えは、人の考え方だ。

 

それ全てを受け入れる事は出来ないし、

ましてや、捉え方に次第で

最初は同感する言い分だったとしても、

後々 これは...。と、思う事もある。

 

だからこそ、

上を向いて手を伸ばし、飛ぶのだ。

たとえ、イカロスになろうとも。

 

イカロスは地に落ちる。

父の忠告を聞かず、空を飛び続け、

あまつさえ、太陽に近づきすぎた。

 

だけど、イカロスが飛び続けれないのは、

その体が肉体だから。

 

思考なら、

いくらでも空を飛び、地に落ちてでも、

また空を見上げて飛べるのだから...。

 

忘れちゃいけない。

 

飛べることを。地に落ちることを、

いつかはその思考さえ働かなくなる事も。

可能性、死後

人の死後に待ち受けるもの。

 

全ての人間が実験体(実験対象、モルモット)

と考えれば、

可能性の全てを構築する分岐点...いや、

世界樹?世界線。

世界線を一つのデータとすれば、

その統計で作られた世界がどこかにあるはずだ。

 

今、ここで認識している世界ではないことは

確かなのだが、

可能性の確率の問題なのか、

認識の問題なのか。

 

 

多数派、少数派

比較するものがあるから

価値の有無に至るわけで、

比較するものが無ければただの戯れ言と同じ。

 

光があるから闇があるのとは少し違うかもしれないが、

多数派の中で少数と多数に分かれるのだから、

少数の中でも同じ事が言えるということ。

 

なら、世界規模で言えば?

 

という風に考えれば、

相模原障害者施設殺傷事件での

容疑者Aの発言に疑問符が与えられる。

 

多数、少数を人間として見ないのは

個々の自由だが、

それを自分を正当化させるために使ってはいけないと思う。

 

ある意味、これも偽善なんだろうが...

不死

これだけ自殺者が増えてたりするのに

人間は不老不死を求める理由は何なのだろうか?

 

まるで、伊藤計劃さんの“Harmony”の世界のようにでもしたいのだろうか?

 

でも今の人達は遠からず?近からず?

Harmonyの世界と似たものを感じる。

 

今は情報社会と呼ばれるほど、

情報に飢えている部分もあり、

情報がすべてだったりする部分もある。

物語の中では、

“watch me”と“オーグコンタクト”によって

その人の情報は全ての人に公開される。

 

この部分は今のSNS、今はInstagram

TwitterFacebook、辺りが一番近いものだろう。

 

自分を偽って、着飾って得るのもは何なのだろうか?

 

仮に、不老不死が成立したとしても、

いつかその状態から抜け出したいと思う人が

出てくると思う。

 

そんな時に、不死の状態で死ねないという状態になるのなら、

人々は屍者の帝国の様な状態におちいり、

不死者と、生の間で戦争が起こるだろうな。

 

今の世界で起こっている戦争なんてちっぽけなんだろうな、、、

 

 

DNA

DNAの、組み換えにより、

人が一種の不老不死になる様な話を聞いた。

 

これだと、心臓などの内蔵器官の年齢と言うべきか、

弱ってしまった器官でも...

例えば、80歳の人が20代の肉体に若返った時、

内蔵器官はその年代に戻るのかという事だ。

 

 戻らなければ、寿命はそのままで、

一種の不老不死というのは

事実上不可能となる。

 

もはや遺伝子レベルの整形だろう。

 

 

武器

人の生活する中には、

これ程自分を殺せるモノがあるのに

何故人は死なない?

 

死は悪だから?

悪い事、恐れるものだと?

本能か?

意思か?

それとも、ルールだからか?

 

死のうと思えばいつでも死ねるのに、

死ねないのか、

気付かないのか、

規則か?縛りか、

恐怖か、そのどれでもないのか。

 

生命主義ね...

何の意味があるのか。

 

もう終わらせたい。な...

つまらない世界は